2018/08/04

Kill City: Iggy Pop & James Williamson

Killcity

音楽的には『Raw Power』 (Wikipedia)の続編。
というか、「ジェームズ・ウィリアムソンが仕切った『Kill City』は『Raw Power』に似てるから、どっちもウィリアムソンが仕切ってたんだろう」という認識の根拠として扱われる作品でもあった。
「Raw Powerのバックトラック制作はイギー承認の下でウィリアムソンが仕切っていた」というのは映画「ギミーデンジャー 」で今や周知の事実だが、それまではイギーも含めてそこまではっきり言っていなかったしね。

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2018/07/16

Behind The Shade: James Williamson & The Pink Hearts

Behindtheshade

齢68歳にして、ザ・ストゥージズの元リードギタリスト、ジェームズ・ウィリアムソンが初めて自身のタレントの全貌を示した作品。

イギー先生、これだけのソングライティング力を持つアレンジャーはやっぱりキープしておいた方がいいんじゃないだろうか。
2人の間でいろいろあったっぽいことはWiki執筆中に分かったが、それでも人間的な合う合わないは割り切って仕事関係でキープしていて損はないと、このアルバムを聴いた後では断言できる。

日本版Wikiにも書いたが、ジェームズ・ウィリアムソンというギタリストは、セックス・ピストルズのスティーヴ・ジョーンズとダムドのブライアン・ジェームズが影響を認める発言をしていて、

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2016/11/30

Wikipedia公開

このブログに掲載されている「スティーヴ・マッケイ・バイオグラフィー」シリーズを整理して、Wikipediaに掲載しています。
推測、独自研究、感想を除いたものがよい方はこちらをどうぞ。

スティーヴ・マッケイ Wikipedia 日本語版

2018/6/30追記
ストゥージズのギタリスト、ジェームズ・ウィリアムソンの日本語版Wikiも作成しました。日本の媒体ではあまり語られることのなかった彼の経歴に興味を持っていただければ幸いです。

ジェームズ・ウィリアムソン Wikipedia日本語版

2016/07/14

スティーヴ・マッケイ ディスコグラフィー

ミュージシャン名の入っていないものは、スティーヴ・マッケイ単独名義のソロアルバム

1970年 The Stooges ”Fun House"
https://en.wikipedia.org/wiki/Fun_House_(The_Stooges_album)
1981年 Ralph Shine Blues Band "The Ralph Shine Blues Band"
http://www.allmusic.com/album/the-ralph-shine-blues-band-mw0000847910
1983年 Various "Seaside Curios”(7インチシングル・ライブアルバム)
https://www.discogs.com/ja/Various-Seaside-Curios/release/2994394

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2016/07/10

スティーヴ・マッケイ バイオグラフィー(7)

書くのが辛かった最終回

イギーの休養宣言により、否応なしにソロ活動を開始せざるを得なくなったマッケイだが、ストゥージズの活動休止直後から様々な仕事に取りかかったり舞い込んだりしている。
自身のフェイスブックによれば、ストゥージズ活動休止直後の2013年9月、雌伏期にThe Bay Area Boat Clubで共演していた面々、Third Thursday Bandとヴァイオレント・ファムズのブライアン・リッチーとともにライブセッションを行っている。
その後、ソニー・ヴィンセントに呼ばれてグレン・マトロックやラット・スケイビーズといった元パンク勢とのレコーディングセッションに参加する。

https://www.discogs.com/ja/Sonny-Vincent-Spite-Featuring-Rat-Scabies-Glen-Matlock-Steve-Mackay-Spiteful/release/6298999

更にマッケイは、2014年のストゥージズのスケジュールが宙に浮くことが分かった時点で、ヨーロッパツアーの準備を着手したようだ。

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2016/07/05

スティーヴ・マッケイ バイオグラフィー(6)

今回は、ソロ活動への傾倒とジェイムズ・ウイリアムソンとの出会い

ロンとの確執によって”The Weirdness”のレコーディングから閉め出されたマッケイは、3rdソロアルバムに向けての活動を開始した。
マッケイのスケジュール上、長期間に渡ってあちこちで行われたレコーディングセッションをまとめる、という作り方は前2作と一緒だが、こちらは明確に「ソロアルバムを作る」ことを目的としたレコーディングセッションであり、どうなるか見えていなかったという前2作とは製作過程が大きく異なる。

マッケイはアルバムのために曲を書き、ストゥージズのツアースケジュールによってはツアー先で人とスタジオを手配し、録音した。例えばダブリンでライブを行った2008年6月にはESTELの面々とレコーディングし、フランス&モナコツアーが行われた2010年7月にはモナコに近いフランスのエズという村で録音している。

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2016/07/03

スティーヴ・マッケイ バイオグラフィー(5)

今回は再結成ストゥージズへの参加とロン・アシュトンとの確執

2001年、ロン・アシュトンは元ダイナソーJr(今は現ダイナソーJr)のJ.マスキスが組んだユニット、J.マスキス&The Fogのツアーにパートタイムで参加して、主にストゥージズトリビュートのパートで共演することになった際、マッケイにサンフランシスコでの共演を打診した。
これを承諾したマッケイは、サンフランシスコのGreat American Music Hallのステージに上がり、ロン・アシュトンと30年ぶりに”Fun House”と”1970”を演奏した。

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2016/06/18

スティーヴ・マッケイ バイオグラフィー(4)

今回は雌伏期から復活への兆しと死亡説の数々。今回もストゥージズのメンバーは最後の1行に出るだけです。

マッケイは80年代後半から90年代を通して本業は電気技師だったが、音楽業界から足を洗った後は30年間ギターを握っていなかったジェイムズ・ウイリアムソンと異なり、業界と全く関係を断ち切ったわけでもなく、ヴァイオレント・ファムズ絡みのライブには呼ばれれば参加していたようだし、コマンダー・コディのレコーディングにも参加して音源を残している。

https://www.discogs.com/ja/Commander-Cody-And-His-Lost-Planet-Airmen-Aces-High/release/5827934

(7月10日一部修正)
また、The Bay Area Boat Clubというお金持ちが集まる場所で毎月第三木曜日にライブを開いていたそうだ。おそらくラウンジ・ミュージックみたいなものを演奏していたと思われる。
開催日から「Third Thursday Band」と名乗った彼らは他のクラブにも出演していたそうだが、マッケイ自身は音楽に専念する気は起きなかったようで、継続的な活動には繋がっていない。

ところが、21世紀を迎えて自分の息子くらいの歳のアヴァンギャルド系ミュージシャン、スコット・ニーデガー(Scott Nydegger)と出会って以降、音楽キャリアが徐々に好転していくことになる。

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2016/06/13

スティーヴ・マッケイ バイオグラフィー(3)

今回はベイエリアに引っ越した後から雌伏期に入るまで。
残念ながらストゥージズの面々は、イギーが最後に出るだけです。

ベイエリアに辿り着いたマッケイは、次に参加するバンドについて、ジョージ・フレインを頼る。彼はカントリーロックバンド、Commander Cody and his Lost Planet Airmenのフロントマンで、出身地はアイダホ州だったが、バンド自体はアナーバーで結成されていた。マッケイと彼らとはイギーとの出会いのきっかけになった学園祭で共演してからの縁だったらしい。第一期Carnal Kitchenのラストコンサートでも共演している。このバンドは現在も活動中で、セールス的な最盛期はワーナーと契約していた1975年までだったようだが、その後もコンスタントにアルバムは出している。

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2016/06/12

スティーヴ・マッケイ バイオグラフィー(2)

今回はストゥージズへの参加と離脱、その後のアナーバーでの活動まで

ロックバンドとサックスプレイヤーという組み合わせは、ある時期からダサいこととされ、デヴィッド・ボウイがサックスを持ってステージに上がるまで、サックス奏者がロックバンドのフロントに立つことはイキった若手の間では問題外だったようだが、どういう発想からかストゥージズは1970年の時点で「ホーンはホーンでもセクションではなくソロのサックスを導入し、フリージャズみたいに吹かせる」という結論に至った。

1970年の春、マッケイはイギーから運命の誘い、デトロイトで行われるストゥージズのジャムセッションに参加して欲しいとの依頼を受ける。レコードショップを辞めて参加してくれ、という依頼だったそうなのでオーディションという意識はあったようだ。
マッケイ曰く
「コーヒーを通してストリートからストゥージズに辿り着いた」

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