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2016/06/13

スティーヴ・マッケイ バイオグラフィー(3)

今回はベイエリアに引っ越した後から雌伏期に入るまで。
残念ながらストゥージズの面々は、イギーが最後に出るだけです。

ベイエリアに辿り着いたマッケイは、次に参加するバンドについて、ジョージ・フレインを頼る。彼はカントリーロックバンド、Commander Cody and his Lost Planet Airmenのフロントマンで、出身地はアイダホ州だったが、バンド自体はアナーバーで結成されていた。マッケイと彼らとはイギーとの出会いのきっかけになった学園祭で共演してからの縁だったらしい。第一期Carnal Kitchenのラストコンサートでも共演している。このバンドは現在も活動中で、セールス的な最盛期はワーナーと契約していた1975年までだったようだが、その後もコンスタントにアルバムは出している。

マッケイが紹介されたのはそのバンドのギタリスト、ビル・キッチンのソロユニット、Bill Kirchen Moonlightersで、マッケイが参加するとその直後にタイミング良くこのバンドはレコード契約にこぎ着けた。マッケイ曰く
「私がちゃんとサインした唯一の契約だ」
他はセッションメンバーとしてミュージシャン本人かバンドと契約していたからで、レコード会社と自分が直接契約を結んだのがこれが初めてだったということらしい。マッケイの音楽キャリアの苦闘を物語る一言。

こうして、このバンドの1stアルバムに参加したが、どういう経緯からか早々にバンドから離脱すると、コマンダー・コディにセッションミュージシャンとして付き合うことになった。このバンド自体がコマンダー・コディのサブ・ユニットのようなものだったので、継続的な活動をそもそもしていなかったのかも知れない。

http://www.allmusic.com/album/moonlighters-mw0000857775

ところでこのMoonlightersというバンド名、どこかで聞いたことあるな、と思ったらニック・ロウのプロデュースで、イギリスのレーベルDiabloからセカンドアルバムを出していた。コステロがゲスト参加しているそうだが、この時にはもうマッケイは参加していない。

http://www.allmusic.com/album/rush-hour-mw0000171766

コマンダー・コディと付き合いつつ、マッケイは前妻とCarnal Kitchenを再開し、これは1977年から1978年まで活動する。Wikipediaに記載がある再生Carnal Kitchenはこれのことを言っているらしい。この時の音源は後にRadonから発売される。

https://www.discogs.com/ja/Steve-Mackay-En-Voyage-A-Retrospective/release/3017585

その他に参加したバンドはRalph Shine Blues Band。これはレコーディングにも参加していてクレジットが残っている。

http://www.allmusic.com/album/the-ralph-shine-blues-band-mw0000847910

もう1つはMitch Woods and the Rocket 88’s。このバンドは現在も活動中だが、マッケイが共演していた頃はレコードデビューまで辿り着かなかった。

マッケイはインタビューでツアーに出た時は「ツアーに出た」とちゃんと言うが、この面々に関してはそういう発言が出ないので、付き合ったのはレコーディングセッションかベイエリア近郊のライブまでだったと思われる。

よって、1972年から1982年までの10年間の本業は電気技師だったと推測される。
実際に1983年にはゴールデンゲートパークの汚水処理場でパワープラントのエンジニアとして働いていたと語っており、いつからその職に就いていたかは語っていないが、字義だけで判断すれば中々堅そうなうえにその後のエンジニアキャリアにも活きそうなこの職業に、音楽活動だけしていた人物が就職できるとも思えない。

そして1982年、マッケイは目玉親父のThe Residentsとの活動でも知られるフィリップ・チャールズ・リスマンことSnakeFingerと共演し始め、人生の中で再び音楽キャリアの比重が増し始める。

リスマンが構想していた「History of the Blues」でホーンセクションのリーダーを務めることになり、ベイエリアで共演を続ける。その一方で、1983年にアメリカ・インディー界の雄、ヴァイオレント・ファムズのリーダー、ゴードン・ガノからの誘いを受け、ライブハウスi-Beamで開催されたライブへ参加する。

ゴードン・ガノとマッケイは馬が合ったようで、2007年にV.ファムズが活動を停止するまで、散発的にセッションに参加するなどの付き合いが続いた。勢いを買って同じ1983年に再度前妻と組んでCarnal Kitchenとして活動する。この時、やはりアメリカ・インディー界で名高いらしいClubfoot Orchestraの結成に誘われたようだが、Carnal Kitchen再開を理由に断っている。
この時のCarnal Kitchenの音源はこちら。

https://www.discogs.com/ja/Various-Seaside-Curios/release/2994394

実はメインはバックを務めたThe Ibbilly Bibbilly Experimental Pinhead Bandの方

そして1983年の終わり、(おそらく)パワープラントエンジニアの職を辞し、リスマンのHistory of The Bluesの集大成として行われたラフ・トレード・オランダの企画に付き合う形でヨーロッパツアーに参加した。音源はこちら。

https://www.discogs.com/ja/Snakefinger-Snakefingers-History-Of-The-Blues-Live-In-Europe/master/622807

久々に音楽キャリアが充実した2年間だったが、何故かマッケイ、そのままオランダに留まってしまう。
この頃にはどうやら前の奥さんと離婚していたらしいので、その辺に何か理由があるのかも知れない。

リスマンは1987年に他界するが、マッケイは彼の家族とヴァイオレント・ファムズ絡みで後に知り合ったそうで、家族ぐるみの付き合いを続けていたという。リスマンの娘さんはGirls With Gunsというバンドで活動していたそうで、共演したこともあったという。

オランダでのマッケイの活動は、オランダ人ミュージシャンとまたもやCarnal Kitchenを再開させるとともに、Rex Reason Blues Bandというバンドと共演する、というものだった。ヴァイオレント・ファムズがヨーロッパツアーでオランダを訪れると、サポートアクトとして雇われたのか、彼らに連れられてオランダ中を回った。
その後、V.ファムズの2ndアルバム"Hallowed Ground”への参加も打診されたそうだが、これは何故か断っている。
推測だがオランダからの旅費の支払いをレコード会社かV.ファムズのマネジメントに断られたのかも知れない。
マッケイによると、自身の代わりに参加したのがジョン・ゾーンだったそうだ。

そんなことがあっても、V.ファムズ(ゴードン・ガノ)との友情は壊れることなく続き、オランダだけでなくヨーロッパツアーにも同行し、ついには彼らのホーンセクションHorns of DilemmaのSigmund Snopek III of Milwaukeeがアメリカツアーに参加できなくなった時に、要請されてアメリカへ帰還することになる。キーボーディストの代わりに呼ばれたというのも不思議な話ではあるが、マッケイはそう言っている。

その後、V.ファムズの3rdアルバム"The Blind Leading the Naked”にも参加し、Horns of Dilemmaのメンバーとして安定した音楽キャリアを送るかと思った矢先の1985年頃から頼みのV.ファムズの活動が停滞するという事態に陥る。そしてV.ファムズが活動を再開した1989年の4thアルバム”3”に彼は呼ばれなかった。

ここでマッケイの音楽キャリアは暗礁に乗り上げる。
電気技師の職もすぐには見つからなかったのか、仕方なく名もなきバンドの(思い出したくもないバンドの)どさ回りバスツアーに参加するが、国内ツアーと聞いていたのに、何故か南アフリカまで連れて行かれたそうだ。

この頃、マッケイ36才。ツアーでキャリアシートに穴を開けるくらいなら音楽業界から距離を置いた方が苦労の少ない人生になると思ったのか(妥当ではある)、V.ファムズのメンバーのライブやコマンダー・コディのレコーディングに散発的に参加しつつ、趣味的にCarnal Kitchenを続けることにし、事実上、電気技師としてキャリアを歩むことになる。

この頃のマッケイはイギーにも励まされてはいたようだが、イギーも自身のキャリアどん底の時期で、サックスプレイヤーを雇うような余裕はなかった。
ジェイムズ・ウイリアムソンもそうだが、この頃、元ストゥージズという肩書きはキャリアパスの役には全く立たなかったものと思われる。ストゥージズの名前が金に繋がるのは、レッチリやプライマルといった活動中の大物がリスペクトを表明し始めて以降、90年代に入ってからだろう。

(本稿続く)

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