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2015/07/19

北野武を嫌う監督(推測)

一部の映画ファンにとっては山田洋次が「巨匠」と呼ばれるのは違和感があると思う。
代表作が「男はつらいよ」というだけで、それは巨匠とはちょっと違うのでは、という感覚に襲われる。

「日本映画の巨匠」と言えば思いつくのは黒澤明、小津安二郎、成瀬巳喜男、溝口健二、鈴木清順といった面々で、それぞれスタイルは全く異なるが、いずれも表現者として世界を唸らせ、その表現は今でも陳腐化していない。普遍的な意味での「名作」を次々と産んだ。
山田洋次が世界を唸らせたことはない。
「たそがれ清兵衛」はベルリン映画祭に参加しているはずだが「参加した」以上の何かが残ったわけでもない。北野武がフランスやイタリアで愛され、是枝裕和がカンヌに出品すると必ず高い評価を得るという状況下で、山田洋次を「日本を代表する巨匠」と呼ぶのは明らかにおかしな話ではある。

さて、では山田洋次は「日本国内限定の巨匠」なのか。深作欣二、石井輝男、工藤栄一、中川信夫、岡本喜八といった面々のように、たまたま国際マーケットに打って出られなかっただけなのか。

それも違う。
自分は様々なしがらみから、山田洋次作品中、ハナ肇に気に入られていた頃の「馬鹿」シリーズ、男はつらいよシリーズ、メガホンは取っていないが脚本家として参加している「釣りバカ日誌」シリーズ、そのうえ「たそがれ清兵衛」まで観てしまった。で、断言できる。
山田洋次は巨匠ではない。

「男はつらいよ」シリーズを観ると分かるのは、印象的なショットやシーンを忍び込ませることをしないという点。渥美清が嫌がることはさせられない、という制約が多いシリーズであるが、後の巨匠はそういう制約下でも何かしら爪痕を残すものだ。しかし、彼はフォーマットに沿った物語を淡々と撮るだけ。

さらに、役者から新しい一面を引き出すということがない。彼の映画に出演した役者の話を読むと演技指導はするらしいが、結果を見ると「世間のイメージどおりでいい」という方向に導いているようである。となれば役者も「表現」ではなく「仕事」としての演技を披露して終わりだ。
彼の映画に名前が大きく出た伸びかけの若手俳優が、その後大成したという話は聞いたことが無いが、「有名な監督が今までと一緒でいい、というからいいんだろう」と勘違いして伸びるチャンスを失ったのかも知れない。彼の映画に出る若手は「若手と言われているが俳優としての立場を確立している」という状況でないと危ない。

「男はつらいよ」から離れても、この辺りは変わらない。登場人物は自分の感情や状況を台詞で説明し「観なければ分からないショット」という映画ならではの贅沢な撮り方はしない。キャストはタイプキャストであり、クリシェを演じ続ける。これは映画じゃない。テレビドラマだ。そうでなければ映画がテレビだった時代の娯楽映画の末裔だ。

「映像化するために非常に苦労した」と語るたそがれ清兵衛の「苦労」は藤沢周平が舞台とした時代の地域の資料が少なかったから、ということらしいが、表現者としては苦労するポイントを間違えている。出来上がった映画は「貧乏くさい時代劇」で、登場した俳優も「これまで演じてきたような演技」を少し力を入れて披露しているくらいだった。

つまり、この人はテレビディレクターなのだ。北野武が侮蔑的に使う「職業映画監督」の頂点であり、表現として映画を選び取った訳では無い。だから、仕事として演出をしている。「伝わればいい」以上の表現は行わない。

演出というのは教わることが出来る。そうでなければ映像産業は成り立たない。その演出技術をツールとして、自分の表現したいことを映像化するのが表現者であり、それで多くの人を唸らせることができて初めて「巨匠」への切符を掴む。そして、その表現が時を経ても陳腐化せず、普遍的なものとして評価されて初めて「巨匠」へと成り上がる。

才気煥発な松竹の先輩たち(大島渚、篠田正浩、吉田喜重)たちは、様々な表現に挑戦して浮き沈みの激しい監督人生を送り、その代償として「巨匠」と呼ばれてもおかしくない地位を得た。
山田洋次はそうしなかった。おそらく出来なかった。仕事として演出し、後年になって見てみるとことごとく陳腐化してゆく商品を大量に生産した。
彼は脚本も手がけるが、その内容は過去の肯定だ。
娯楽作品としては正解ともいえるが、それ故に時代の流れによって確実に陳腐化する価値観を肯定することになる。意地悪な見方をすると「貧乏人は貧乏なまま死んでゆくのが正しい」「知的障害者は差別されたまま終わる(馬鹿シリーズ)」という内容で、見る人が見れば気分が悪くなる。経年による陳腐化に拍車をかける。

彼はこれ以外の映画は撮れないのだろう。ただ、彼自身は「自分は巨匠じゃない」という自覚はあると思う。
だからますますクリシェと過去の価値観の肯定に傾いていくわけだ。

ただ、本人は心得ているだけに北野武を嫌っているだろうなあ。
「男はつらいよ」の笑いを決定的に古いものにし、「最も有名な浅草芸人」という地位を渥美清から奪い、映画監督として世界的に高い評価を得、尊敬する黒澤明から認められる、という本人が得られなかったものを全て手に入れてしまったうえに、「娯楽映画も撮れるよ」ということも最近証明してしまったもんなあ。

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コメント

山田洋次のことを調べていて偶然このサイトにたどり着きました。

この内容にはおおむね同意します、
山田洋次監督は「職業映画監督」、まさにその通りだと思いました。
もっと言うと、広く大衆に向けられた映画、すなわち「大衆娯楽映画」の境地ではないでしょうか。
寅さんや馬鹿シリーズは、いかに山田洋次が有名であろうとも、未だにまったく見る気がしません。

私は彼の作品は水戸黄門的なものではないかと思っています。
そこにあるのは庶民にとってのわかりやすさや安心感、勧善懲悪、一言で言ってしまえば「ベタ」感です。


しかしそれが山田洋次がほかの芸術派監督に比べて劣っているという証拠にはなりえないとも思っています。むしろ山田洋次のようなある意味エンタメ重視な存在は、小津安二郎のような独自色の強い監督のなかで貴重だったのではないでしょうか。やはりおっしゃるようにテレビ向きの監督であることは間違いないと思います。ただ、彼の言う「劇場で観客がワハハと声を出して笑うような光景が見たいんだ」という考え方は、旧世代の映画監督であり職業監督ならではの視点であり貴重だと思っています。

つい最近「隠し剣、鬼の爪」という山田監督作品を鑑賞しましたが、良くも悪くもクセのない演出で意外と好感が持てました。ただ、主演俳優に心情をセリフで言わせてしまうところなど、映画としてはありえないな〜と感じる部分多々あり、やはりこの人は巨匠ではない、と思うに至ったのでした。

丁寧にお読みいただき、ありがとうございます。1年前の拙文にコメントが付くとは意外でした。
久々に読み返してみると確かに少々キツい書き方になっていますが、ベタの中でもベタで「テレビでいいのに」というこの人が、世間的には巨匠扱いされていることに違和感があったので、カウンター意見として作品を見た際に感じたことを整理してみた次第です。

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