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2013/02/25

ソナチネ

どこかのブログで「この映画の登場人物は全て子供のままだ」と評論されていたが、まさしくそのとおりで、批評としてはこれ以上書くことは無い。

このブログ:
http://blog.livedoor.jp/koredakecinema/archives/4255597.html

ただ、書きたいので、気付いたところをぐだぐだと書いてみる。

ストーリーは破綻している、というよりも端折りすぎて不自然になっていると言うべきか。一々挙げていくと、
たけし自身が劇中で言っていたように、たけしの留守中にたけしの組の面倒を見るのはナンバー2(大杉漣)であるべきなのに、なぜかナンバー2もナンバー3(寺島進)も抗争援軍旅行に同行してしまう。
敵が派遣するヒットマンが1人だけ。たけしの隠れ家が判明した後も1人でちょっとずつ処理していくが、隠れ家が判明した時点で大勢で夜中に出かけていって襲えばいいのでは?
たけしが助けに来た組はほぼ全滅状態になり、たけしの部下は3人くらいになってしまうのに、敵役が滞在するホテルはすんなり見つけてしまう、、、等々

一番目立つ瑕疵と言えば、たけしと敵役がエレベーターの中で一般人巻き添えの発砲事件を起こしてしまってからクライマックスまでのストーリー。

現実的に考えれば、発砲事件後は何が起こるか。
1 町中戒厳令状態
2 やくざは全てボディチェックの対象
3 死体から関係する組が判明し、警察は血眼でたけしを追い始める。

にも関わらず、その発砲事件から日数を経ていない時期に、その発砲事件に深く関与しているやくざがパーティを開催してしまう。普通に考えてそんなことあるわけがない。万が一開催されても、会場を二重三重に機動隊が取り囲む形になるだろう。

こう考えていくと、とてもじゃないが、そのパーティにたけしがマシンガンをぶら下げて乗り込んでいくというしびれるクライマックスは実現するはずがない。

他にも挙げていくとキリが無いが、にもかかわらずこの映画には圧倒的なリアリティがある。

おそらく、たけしはこれまで挙げたような瑕疵は十分分かった上で確信犯的に「こっちの方がしびれるから」というストーリーの流れを選び取っている。
これは、アウトレイジ・ビヨンドに関するたけしの発言から判断できる。それは、
「やくざだってあんなにポンポン人は殺せないんだよ。普通は警察が動くんだから。でもそこは目をつむった」
というもので、おそらくソナチネも同じ考えでストーリーを構築していったんだろう。要するに「現実は面倒くさい」ということを分かった上で話を端折っているわけで、これは単なる下手とは違う。

そしてもう一つ。やくざの描写がほぼ正解であるという点。自分は偶然、やくざの内情を非常によく知る人物と親しくなったが、この人は前半、沖縄やくざの勝村政信が援軍のたけしたちに向かって、
「飲み物とアイスクリームがありますんで、欲しければ言ってください」
と呼びかけるシーンに妙に感心していた。
「そうそう。栗まんじゅうとか用意したりね」
とか言って。

ほぼ正解の細かいディテールを積み重ねていってストーリーは確信犯的に飛躍させる。この2つが相まってこの映画の「映画的なリアル」を支えているのだと思う。
そういう意味では教科書的な「よく出来た」映画。
この映画はロンドンで上映されて評判を呼んだそうで、さらにフォーマットがそのまま外資系の「BROTHER」に繋がったりしているが、それはすなわちこの映画が「よく出来た映画」の世界標準に準拠しているからなんだろう。

たけしはこの映画に関して「好き勝手に撮った」と言っているが、自由気ままに撮って教科書的な映画ができあがるのだから、この人は映画を撮るために生まれてきた、と言っても過言ではないのだな。

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