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2010/10/17

六代目圓生トリビュート(夜の部)

圓生パラレルワールド!あの世の名人、この世の名人!(ざぶとん亭席亭風流日記)

そういえばねぎし三平堂(Googleマップ)が出来たばかりの頃くらいに「三平堂の高座に三平を復活させる、それも3Dで」というテレビの企画があったなあ。テレビ画面を通して見ると全く立体に見えない3D映像を白けた思いで眺めたが、ワイドショーの本質を理解している海老名香葉子がちゃんと泣いていたのは感心した。
そんな思い出があるせいで「高座で動画」ってのはどんなもんかと思ったが、今回はそこまで場所と映像が乖離した感じはせず普通に見られた。というか、引き継ぎ担当の志らくに限った話だけど。白鳥は最初から「スムーズな引き継ぎ」を目指していないので乖離どうこうは小さな話。

さて、開口一番は王楽。
王楽の落語(しの字嫌い)は初めて聞いたが親父より上手いんじゃないか? 親父は結構つっかえたりするしねえ。これは圓生の映像は無し。
その後、白鳥と志らくのトークショウ。白鳥が如何に師匠の師匠であるところの圓生を知らないかというエピソードに志らくが突っ込む、という構成。
ちなみに志らくは「圓生の口演は中学生の時に何度か見たことがある」と言っていた。ぐぐってみると昼の部で引き継ぎ役を勤めた三三は「圓生は生で見たことがない」と言っていたそうで、どうやら今回の会では志らくだけが唯一圓生を知っている人だったらしい。

そして本日の肝といえる圓生と志らくの共演。
圓生の口演を途中まで映像で流して志らくが引き継ぐ、という構成。演目は「死神」。圓生の映像は紀伊國屋ホールで撮られたものらしい。「紀伊國屋ホールで撮影された口演」が演目決定の最優先事項だっんだろうなあ。考えてみれば当たり前だけど、ある意味画期的な演目の決め方ですな。
で、実際に目にしてみると映像から高座への切り替わりもそれほど違和感が無く、気がつけば志らくワールドへ。

続いて白鳥と王楽のトークショウ。特にこれといった話はなかったかな。
で、いよいよトリの白鳥と圓生のコラボレート。
志らくの時の圓生の映像は舞台の引き映像から始まって「これから圓生が舞台に出ます」という演出が入っていたが、白鳥の方は「引き継ぐ」の意味が志らくとは全く違うせいか、映像は舞台を全く映さずバストショットから開始。
圓生の演目は「淀五郎」で、これを「似たような話」として白鳥が「聖橋(中村仲蔵のようなもの)」として引き継ぐという構成。

新作落語ってのはパターンがあってごくごく大雑把に分けると「マクラで使うタイプのネタを下敷きにしたもの」、「古典を下敷きにしたもの」、「オリジナル創作」っていったところか。ここでいうオリジナルは「無から創作した」という原理主義的な意味じゃなく、落語以外のものから受けた影響を作品に昇華した位の意味には取っていただきたいところ。
古典の持ちネタも多い昇太、喬太郎の新作が「オリジナル創作」という点に何か示唆的なものを感じるんだが、それはともかく白鳥は「マクラで〜」と「古典を〜」の合わせ技で創作する。談志が登場する「聖橋」もそのタイプで、中村仲蔵の筋を骨子に文七元結の見せ場を絡めて白鳥自身も登場する。面白いんだが、この手の話は内輪受けに近い笑いで終わっちゃうんだよなあ。いや、面白ければいいじゃないか、という意見は正論なので腐す気はない。自分の趣味とは違う、という心の狭い話をしただけで。

というわけで、まだ昭和の香りを残す紀伊國屋ホールを堪能した会ではありました。このトリビュート、林家彦六バージョンも見てみたい気がちょっとする。

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