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2010/10/11

いまさらサシャ・バロン・コーエン

故あって「ボラット」(Wikipedia)と「ブルーノ」(Wikipedia)の両方を立て続けに見ることになったが、作品としてはボラットの方が普通に笑える。
理由は簡単で、ボラットの方が伝統的な「カルチャーギャップを笑う」というコメディの文法に則っていて、ブルーノは命がけの嫌がらせを撮影することに主眼を置いているからだと思う。

ボラットは「モキュメンタリー」(Wikipedia)という言葉から連想される「どっきりカメラっぽいことをして素人が驚くところを撮って笑わせる」というイメージとは裏腹に、かなり細かいところまで気を遣って製作されている。

冒頭部分で部屋の中でカメラがパンすると牛が映って驚かされたり、自動車を馬が引いていたり、夫が乗った荷車を妻が引っ張っている場面を村の風景にさりげなく映し込んで仮想カザフスタンの男尊女卑をアピールしたり、ニューヨークのユーモア講師に教わったギャグがラストに出てきたり、途中でどうやってカリフォルニアに行くのかと思わせておきながら意外な方法で辿り着いたり、相棒のアザマットが冷蔵庫を開けるといつの間にかいなくなっていた熊の首が一瞬映ったりと、伏線と思わせない伏線をきれいに回収していく。
さらに途中でボラットがアメリカの住民と交わす会話は「男尊女卑と差別主義が蔓延っていて野蛮」という設定の仮想カザフスタンと「先進国」であるはずアメリカの住民に大した差はなく「先進国」の人たちはパーティジョークやテーブルマナーで単に上辺をごまかしているだけ、という批評が自然に成り立つように構成されている。
加えて、本来行くはずじゃなかったカリフォルニアに向かう、という設定を入れたことで「水曜どうでしょう」を思い出させるバディムービー的な「くだらない仲間同士のやりとり」で笑わせる場面もうまく混ぜ込んでしまう。
要するにジャンル横断的なコメディとして成立させてしまっているので、サシャ・バロン・コーエンのコメディに対する懐の深さが実感でき、だから面白い。

だから「どっきりカメラの面白さ」を期待してボラットを見るとおそらく外すんだけど、この映画の一要素に過ぎなかったフェイクドキュメンタリー部分が評判になりすぎて、続く「ブルーノ」の内容を制限してしまった感じはする。

ブルーノはひたすら「過激などっきりカメラ」であり続ける。問題は「素人を驚かせたり怒らせたりするには嫌がらせをすればいい」というこの手のギャグ特有の「沸点の低さ」で、結果的に「やってることは凄いんだけど、どれも似たようなもので映画としては単調」という労力に見合わない仕上がりになってしまう。
ハシディズム派の服装(ユダヤ教というと思い出す黒い服)をノースリーブと短パンにアレンジして歩き回って追いかけられたり、アメリカ南部の真っ直中で開催されたバーリ・トゥードの金網の中で男と乳繰り合いをしたりするギャグは確かに命がけで凄いんだが、ブルーノがそういう場面に登場した時点で「こうなるな」という予測は出来る。

結論としてはボラットの方が面白い。ボラットはDVDを購入してもいいが、ブルーノはレンタルでいいや、という感じか。
ついでにいうとBOX Officeによればブルーノボラットの3倍近い制作費をかけながら興行的にはボラットの方が成功している。「ゲイムービーは見たくない」という客も多いからではあるんだろうが、やっぱり「ドキュメンタリーの形を取ったコメディ」と「コメディタッチのドキュメンタリー」の差もあるんじゃないだろうか。嫌がらせみたいなドキュメンタリーの方が支持されるのであれば、野呂圭介は未だにスターでいるはずだしね。

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