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2010/10/31

立川志らく独演会

立川志らく独演会 赤羽会館・講堂(北区)(officeダニーローズ)

志らくの高座は今年で3回目。1回目は日経ホールで桂雀々とのコラボ企画で「文七元結」と「疝気の虫」。2回目は圓生トリビュートで「死神」。で、今回は「寝床」と「子別れ」。
子別れのマクラで聞いた限りでは、これから先の口演では文七元結が結構多いようなので、「志らく百席」でもないのに演目が被らなかったのは運が良かったのかも知れない。ちなみに同じマクラで「今日のネタは直前に考えました」と言っていたから、主催者側からの注文は特になかった模様。他は何を話すか先に教えてください、という主催者なのかな。

いつもどおりの出足の遅さと板橋本町JCTの混雑と大雨、狭いコインパーキングに切り返し切り返しでクルマを放り込む、という複合的な原因に祟られて13時半開演の高座に45分遅れで赤羽に到着。開口一番には間に合わず。ただし志らくの高座には間に合った。ちょうどマクラのところ。客の入りは7分くらいか。意外に少なくて驚く。ほとんどが人生の先輩方。
「英語が分からないから英語の歌は聴けないって人はいませんよね。それと一緒で浄瑠璃も上手い人が演じると言っていることが分からなくてもいいものなんですよ」と始まって「寝床」へ。志らくのマクラは短くていいね。今回くすぐりにピンと来なかったのはお客のほとんどが自分より年齢層の高い人だったからだろう。
ここで休憩。休憩時間中にこの会場には駐車場があることに気がつく。考えてみれば公共施設だから当たり前か。慌ててコインパーキングに駐めて損したなあ。
続いて「子別れ」。「直前にこの噺をすることに決めました」といいつつ「持ちネタは200あります。林家木久蔵、、前のきくおくんですね、彼は3つだそうですけど」と1つ笑いを取って吉原の話へ、そして子別れ。弔いからの遅くなった理由の一つに「生焼けは嫌だって故人が言ってたから、焼け落ちるのを確認してた」ってのがあるのが笑った。あとは一緒に木場へ向かった番頭が道中で見つけてしまった息子に声をかけようかかけまいかと逡巡している熊五郎に「馬鹿っ! 会ってやるんだよ!」と叱りつけるところにぐっと来たりしている。でも、志らくの人情噺はどこか乾いているのがいいよな。

志らくはいつも水準以上を聞かせてくれるよなあ、と思いつつ引き上げる。
ここんところ落語ファン倶楽部やグッズを売っている会場が普通だったので、そういったものの売り場が全く無かったのが久々で新鮮というか地味に感じたというか。本当は落語ファン倶楽部を買うつもりでいたんだんだけど。

2010/10/27

例えが悪かった、という話

ソニーの株価一時上昇 Appleによる買収の憶測で(ITmedia)

ソニー株価がアップルによる買収観測で一時上昇、その後は売り戻し(ロイター)

昔はソニーがAppleを買収する、なんて噂も流れたなあ。
「そんな無茶な」
という買収がたまに成立してしまう世の中なので、ソニーがGoogleと組んでいようといまいとAppleが買収しようと思えば身を任せる可能性があるわけだが、Appleはコンテンツを持つ企業には手を出さないだろうからまず無い話でしょうな。下手に買ってiTSの販売交渉で変な勘ぐりを受けたくないだろうから。
ディズニーは完全にコンテンツ企業だから無いでしょう。
可能性があるとしたらAdobeだろうけど、Flashを殺すために買うようなものだろうからやっぱり無いでしょうな。
まあ、一部デイトレーダーは楽しい思いをしたことでしょう。

2010/10/24

まだ「容疑」だ

元イングランド代表のガスコイン氏、薬物所持容疑で再逮捕(スポナビ)

元イングランド代表のガスコインが8部リーグの監督に就任(スポナビ)

あ〜、あったなあソクラテスの現役復帰。
と、思ったら同じクラブがガスコインをサッカー界に復帰させた。
と、思ったら半月も経たないうちにガスコインが薬物所持容疑で逮捕。
酒から乗り換えていただけだったのかなあ。
チーム代表の言葉が本当なら、「容疑」くらいではクビにしないだろうが、広告塔として雇用したのならすぐクビでしょうな。

2010/10/18

生誕100周年のクロージング曲として希望

ケネディ元大統領就任50年記念、イベントにアーティスト集結(ロイター)

The Presidency of John F. Kennedy: A 50th Anniversary Celebration Opening Concert(The John F. Kennedy Center)

ルー・リードが70年代に築いたイメージと決別した傑作として名高いアルバム「The Blue Mask」(Wikipedia)。この中で「Average Guy」と並ぶ傑作として名高いのが「The Day John Kennedy Died」。
もっとも内容はケネディ自身のことではなく「輝けるアメリカが死んだ日」の象徴としてジョン・F・ケネディの暗殺事件がノスタルジックに扱われている、というもので、無垢を装う50〜60年代が崩れていく様を扱ったデヴィッド・リンチの「ブルーヴェルベット」に通じるものがある。

で、今回のケネディ元大統領就任50周年記念イベント。
残念ながらロック代表はポールサイモンという無難な人選。モロに暗殺を扱った曲を流すのはケネディの輝ける業績を称えるイベントには向かない、と判断されたんでしょうな。
イベントの最後に流すのはぴったりな気もするんだが。別にJFKの業績を腐しているわけでもないし。

生誕100周年は2017年か。

2010/10/17

六代目圓生トリビュート(夜の部)

圓生パラレルワールド!あの世の名人、この世の名人!(ざぶとん亭席亭風流日記)

そういえばねぎし三平堂(Googleマップ)が出来たばかりの頃くらいに「三平堂の高座に三平を復活させる、それも3Dで」というテレビの企画があったなあ。テレビ画面を通して見ると全く立体に見えない3D映像を白けた思いで眺めたが、ワイドショーの本質を理解している海老名香葉子がちゃんと泣いていたのは感心した。
そんな思い出があるせいで「高座で動画」ってのはどんなもんかと思ったが、今回はそこまで場所と映像が乖離した感じはせず普通に見られた。というか、引き継ぎ担当の志らくに限った話だけど。白鳥は最初から「スムーズな引き継ぎ」を目指していないので乖離どうこうは小さな話。

さて、開口一番は王楽。
王楽の落語(しの字嫌い)は初めて聞いたが親父より上手いんじゃないか? 親父は結構つっかえたりするしねえ。これは圓生の映像は無し。
その後、白鳥と志らくのトークショウ。白鳥が如何に師匠の師匠であるところの圓生を知らないかというエピソードに志らくが突っ込む、という構成。
ちなみに志らくは「圓生の口演は中学生の時に何度か見たことがある」と言っていた。ぐぐってみると昼の部で引き継ぎ役を勤めた三三は「圓生は生で見たことがない」と言っていたそうで、どうやら今回の会では志らくだけが唯一圓生を知っている人だったらしい。

そして本日の肝といえる圓生と志らくの共演。
圓生の口演を途中まで映像で流して志らくが引き継ぐ、という構成。演目は「死神」。圓生の映像は紀伊國屋ホールで撮られたものらしい。「紀伊國屋ホールで撮影された口演」が演目決定の最優先事項だっんだろうなあ。考えてみれば当たり前だけど、ある意味画期的な演目の決め方ですな。
で、実際に目にしてみると映像から高座への切り替わりもそれほど違和感が無く、気がつけば志らくワールドへ。

続いて白鳥と王楽のトークショウ。特にこれといった話はなかったかな。
で、いよいよトリの白鳥と圓生のコラボレート。
志らくの時の圓生の映像は舞台の引き映像から始まって「これから圓生が舞台に出ます」という演出が入っていたが、白鳥の方は「引き継ぐ」の意味が志らくとは全く違うせいか、映像は舞台を全く映さずバストショットから開始。
圓生の演目は「淀五郎」で、これを「似たような話」として白鳥が「聖橋(中村仲蔵のようなもの)」として引き継ぐという構成。

新作落語ってのはパターンがあってごくごく大雑把に分けると「マクラで使うタイプのネタを下敷きにしたもの」、「古典を下敷きにしたもの」、「オリジナル創作」っていったところか。ここでいうオリジナルは「無から創作した」という原理主義的な意味じゃなく、落語以外のものから受けた影響を作品に昇華した位の意味には取っていただきたいところ。
古典の持ちネタも多い昇太、喬太郎の新作が「オリジナル創作」という点に何か示唆的なものを感じるんだが、それはともかく白鳥は「マクラで〜」と「古典を〜」の合わせ技で創作する。談志が登場する「聖橋」もそのタイプで、中村仲蔵の筋を骨子に文七元結の見せ場を絡めて白鳥自身も登場する。面白いんだが、この手の話は内輪受けに近い笑いで終わっちゃうんだよなあ。いや、面白ければいいじゃないか、という意見は正論なので腐す気はない。自分の趣味とは違う、という心の狭い話をしただけで。

というわけで、まだ昭和の香りを残す紀伊國屋ホールを堪能した会ではありました。このトリビュート、林家彦六バージョンも見てみたい気がちょっとする。

2010/10/11

いまさらサシャ・バロン・コーエン

故あって「ボラット」(Wikipedia)と「ブルーノ」(Wikipedia)の両方を立て続けに見ることになったが、作品としてはボラットの方が普通に笑える。
理由は簡単で、ボラットの方が伝統的な「カルチャーギャップを笑う」というコメディの文法に則っていて、ブルーノは命がけの嫌がらせを撮影することに主眼を置いているからだと思う。

ボラットは「モキュメンタリー」(Wikipedia)という言葉から連想される「どっきりカメラっぽいことをして素人が驚くところを撮って笑わせる」というイメージとは裏腹に、かなり細かいところまで気を遣って製作されている。

冒頭部分で部屋の中でカメラがパンすると牛が映って驚かされたり、自動車を馬が引いていたり、夫が乗った荷車を妻が引っ張っている場面を村の風景にさりげなく映し込んで仮想カザフスタンの男尊女卑をアピールしたり、ニューヨークのユーモア講師に教わったギャグがラストに出てきたり、途中でどうやってカリフォルニアに行くのかと思わせておきながら意外な方法で辿り着いたり、相棒のアザマットが冷蔵庫を開けるといつの間にかいなくなっていた熊の首が一瞬映ったりと、伏線と思わせない伏線をきれいに回収していく。
さらに途中でボラットがアメリカの住民と交わす会話は「男尊女卑と差別主義が蔓延っていて野蛮」という設定の仮想カザフスタンと「先進国」であるはずアメリカの住民に大した差はなく「先進国」の人たちはパーティジョークやテーブルマナーで単に上辺をごまかしているだけ、という批評が自然に成り立つように構成されている。
加えて、本来行くはずじゃなかったカリフォルニアに向かう、という設定を入れたことで「水曜どうでしょう」を思い出させるバディムービー的な「くだらない仲間同士のやりとり」で笑わせる場面もうまく混ぜ込んでしまう。
要するにジャンル横断的なコメディとして成立させてしまっているので、サシャ・バロン・コーエンのコメディに対する懐の深さが実感でき、だから面白い。

だから「どっきりカメラの面白さ」を期待してボラットを見るとおそらく外すんだけど、この映画の一要素に過ぎなかったフェイクドキュメンタリー部分が評判になりすぎて、続く「ブルーノ」の内容を制限してしまった感じはする。

ブルーノはひたすら「過激などっきりカメラ」であり続ける。問題は「素人を驚かせたり怒らせたりするには嫌がらせをすればいい」というこの手のギャグ特有の「沸点の低さ」で、結果的に「やってることは凄いんだけど、どれも似たようなもので映画としては単調」という労力に見合わない仕上がりになってしまう。
ハシディズム派の服装(ユダヤ教というと思い出す黒い服)をノースリーブと短パンにアレンジして歩き回って追いかけられたり、アメリカ南部の真っ直中で開催されたバーリ・トゥードの金網の中で男と乳繰り合いをしたりするギャグは確かに命がけで凄いんだが、ブルーノがそういう場面に登場した時点で「こうなるな」という予測は出来る。

結論としてはボラットの方が面白い。ボラットはDVDを購入してもいいが、ブルーノはレンタルでいいや、という感じか。
ついでにいうとBOX Officeによればブルーノボラットの3倍近い制作費をかけながら興行的にはボラットの方が成功している。「ゲイムービーは見たくない」という客も多いからではあるんだろうが、やっぱり「ドキュメンタリーの形を取ったコメディ」と「コメディタッチのドキュメンタリー」の差もあるんじゃないだろうか。嫌がらせみたいなドキュメンタリーの方が支持されるのであれば、野呂圭介は未だにスターでいるはずだしね。

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