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2009/04/26

否定の否定と非難の非難

今月発売のオートカーを読んでいたら、当事者による2つの否定があった。
一つはミニバンの否定。
トヨタの誰かが新型車の事前説明会で
「ミニバンに乗っていて、子供がクルマを好きになるわけがない」
と言っていたそうだ。
記事の執筆者の解説に寄れば「速く走るためにはふさわしくない形状をしているのに速いミニバン」ってのはどこかに無理を強いているわけで、それは大抵同乗者に及ぶ、ということになる。ストリームやウィッシュの硬い脚は話題を呼んだっけなあ。
しかしこの解説の前提は「子供が大人しく乗っている場合」に限る。ミニバンの車内を部屋の延長間隔で跳ね回っている子は結構見かけるし、親も別に注意はしないようだ。そういった親子が3ボックスや2ボックスの車内を望むとも思えないので、形状としてのミニバンはこれからも残るだろう。その場合の子供は「クルマ好き」じゃなく「ミニバン好き」って事になるんだろうけど。

ただ、ミニバンで育った子供たちが大人になった場合にミニバンを選ぶかと言えば、そうとも言えない。だってその場合、運転するのは当の本人なんだから。むしろ「子供がかつての自分みたいに後部座席をうろつくのはうざい」って事でワンボックスカーは避けるかも知れない。それでドライビングの楽しさに目覚めればいいことじゃないですか。
だからトヨタの幹部だか役員だか広報部員の言葉はあまりに消費者を馬鹿にしていないか、あるいは近視眼的すぎないか、という感じかな。

で、もう一つはゴードン・マーレイによるマクラーレンF1の否定。これはチームの事じゃなくロードカーの方。
「だってスーパーカー市場なんてもう無いだろ」
というのがその発言の趣旨。求める客はいるだろうけど「市場」ってほどの規模を支えられるほど数が出ることはもう無いんじゃないか、と言いたいらしい。
でも、新興国の金持ちたちが「ステイタスとしてのスーパーカー」を求めるならば、まだイケるんじゃないですかね。

そんなわけで否定の否定になってしまったなあ。
でもオートカーの読者欄で「ゴードン・マーレイにはシティカー開発なんてせこい仕事をして欲しくない」なんて非難が紹介されていたのにはちょっと驚いた。
マーレイにしてみれば「少数の人にしか意味がないスーパーカー仕事なんてもうしたくない」ってことでシティカー開発をしているんだろうし、市場規模や社会への貢献度を考えれば遙かにスケールの大きい仕事。これは仕事を更にチャレンジングな方へ進化させたわけで、褒められこそすれ非難されるいわれはないはず。

こういう「かつてのヒーローが自分の好きじゃないことをするのを許せない」人がベテランミュージシャンの年金系コンサートに行くんだろうな。こちらも近視眼的、といえるか。

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