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2005/05/07

日本ロック雑誌クロニクル

Chronicle「ニューミュージック・マガジン」「ロッキング・オン」「宝島」。
この言葉に恥ずかしさを感じる中年は結構な数に上ると思う。

個人的にもその1人であったりするわけだが、その恥ずかしさをまとめて追体験できるお得な1冊。

著者の本業は大学教授というだけあって、事実を細かく積み上げて分析していく手腕はさすがだし、フォークも含んだ日本ロック史のお勉強も出来るという点も「先生のテキスト」っぽい。

この本で紹介されている雑誌は「ミュージック・ライフ」「ニューミュージック・マガジン」「フォークリポート」「ロッキング・オン」「宝島」「ロック・マガジン」の6冊。
選び出された基準は「日本のロック界に何らかの流れを引き起こしたか否か」ということになるようだ。

まず第1章は当然のごとく「ミュージック・ライフ」。
これは雑誌自体がムーブメントを引き起こした、というよりもビートルズに乗っかったら流れに乗った、というわけで他の雑誌とは少々スタンスが異なる。
「ミーハー的」と筆者に言われる編集方針は特異なものではなく、雑誌としてはむしろ普通だろう。
ただ「雑誌=情報誌」だったころの雑誌は、他では紹介しないものを扱えばムーブメントの中心にいることができた。
それ以前に、このころの日本のロック界は「ミュージック・ライフ」1冊で事足りる程度の聴衆しか持たなかった。
筆者はミーハー的なミュージック・ライフの役割は70年代末に終わっていた、それはつまりロック界が変質して女の子ウケするミュージシャンがいなくなってしまったから、と認識しているようだが、以前ほどの部数は見込めないにしろミーハー的価値観で紹介できる、つまり女の子ウケするミュージシャンは洋楽全般に目を広げれば今でも存在する。
ミュージック・ライフは「ミーハー的」ではあったもののロックから外れたものを紹介してしまうほど「ミーハー」ではなかった。
だから洋楽ロックアイドルの終焉と一蓮托生で終焉を迎えてしまった。
意外にもロック的頑固さは持っていた、という訳だ。

第2章は「ニューミュージック・マガジン」。
その「変質したロック界」にいち早く対応し「ロックを語り始めた」雑誌として紹介される。
中村とうようのバックグラウンドなども語られるので、一時期ミュージック・マガジンが「ワールド・ミュージック・マガジン」なんて揶揄されていた理由も今になって分かる。
今更分かってもしようがないが、ネタ切れを迎えていたロック界がワールド・ミュージックに目を向けていたこともあり、このバックグラウンドがミュージック・マガジンの命脈をしばらく保つ事になる。

「ロックを語る」という行為は、海外でもグリル・マーカスなんて大物ロック・ジャーナリストが登場しているので、日本独自の現象ではないし、速報性がウリでなくなり始めたメディアがニュース解説、コラム、スクープといった付加価値で売るのは当然の流れ。

ただ、海外ではロックが巨大産業となりつつある中で「語る」という行為が登場したが、まだまだ小さく情報量も十分でない日本のロックマーケットではこのような雑誌が先行した事により「聴く」と「語る」と「情報を得る」がセットとして扱われる時代が訪れた。

筆者は「この三位一体が日本のロックを育てた」とこの雑誌を高く評価し、「語るべき音楽」が無くなってしまったから、この雑誌が以前のように生きる道はなくなってしまったと嘆く。こういう感想を抱くのは筆者本人が「主体的に(試聴なんぞして)音楽を漁る」という行為を止めてしまったからだろう。
当然語らなくても音楽は聴ける、という基本がどこか欠落している気もする。
語らない人は音楽に対するアンテナが鈍い、という事は有り得ない、

第3章はフォークリポート。
中村とうようの政治志向や、バックグラウンド人脈となる人材をフォローするためか、フォーク界の中心的レーベルURCレコードの広報誌が紹介される。
ここまでフォローしてしまうのは確かに大学教授、学究肌だな。
日本のフォークは結構評価が難しい。
その後の音楽界のキーマンとなる人材を発掘したが、彼等がフォークを選んだのは「エレキ楽器を買う金がなかったから」という理由が、この章の冒頭部分でも説明されている。
要するにやりたい音楽が別にあった人たちもフォークに「甘んじていた」わけで、彼等がそれなりの資金を得るようになると、フォークとは関係のない音楽を始めてしまった。要するにフォークは人材以外、後に続くものは生まなかった。
他の雑誌が媒体としての使命を終えたとはいえ今も続くロック、というかポップミュージック史の中で連続性を以て語れるのに対し、この雑誌は本当に「終わっている」。
歴史的資料として読むしかない章なので、あんまり興味のない人はとばしてもいいだろう。

第4章はロッキング・オン。
渋谷陽一は「メリットがないから」とインタビューを断ったそうだ。
高校時代の自分を騙してくれたレトリックを駆使した「ロック雑誌は死んでいない、なぜならば、、、」という反論を期待していたんだが。
とはいうものの、「中村とうようvs渋谷陽一」論争に関しては全然知らなかった。自分がロッキングオンの熱心な読者だった期間は思ったより短かったんだな。

そんな訳もあってか、筆者のロッキング・オンというか渋谷陽一に対する評価は、やや辛めのものとなっている。
この評価から、筆者本人が「ロックの商業化」について、冷静に語りながらも忸怩たるものを抱いているから、ということが透けて見える。
だから「渋谷陽一がロック雑誌で儲けてポルシェを買った」という事実に対して複雑な思いがあるのだろう。

サブカル紹介誌、という一面もあったミュージック・マガジンに対し、ロッキング・オンはロックに特化している雑誌だ。
また「評論家でない聴衆にロックを語らせる」ことを大フューチャーした雑誌でもある。
ミュージック・マガジンにしてみれば冷めた姿勢で臨んでいた「商業化したロック」クイーンやエアロスミスもロックであるが故に語るに足る、という態度で臨んだこの雑誌は要するに読者を裏切る、という事がなかった。
つまり「語るミュージック・ライフ」だったわけで、この辺は筆者も「ライフとマガジンの折衷」と指摘している。
筆者はヴァーチャル渋谷陽一を登場させ、この指摘に対して激しく反論させているが、実際の渋谷に聞けば「まあ、そういう部分もあったかな」とあっさりした回答が返ってきそうに思う。
ただ筆者は渋谷に激しく反論して欲しかったのだろう。

第5章は宝島。
先の2誌に対し「語る事を辞めた」雑誌として登場する。
時代が語る事に飽きていたからというわけだ。

この章の「宝島はインディーズレーベルシーンを確立し、支援した」という評価はちょっと分かりにくい。
宝島が行った活動は紹介しているが、記事の内容まではあまり紹介していないからだ。

リアルタイムで宝島読者だった自分が僭越ながら紹介すると、「ファッションはこう、メイクはこう、楽器はこれで、音楽はこんな感じ」という記事だった。
要するに「ロックバンドのマニュアル化」を行うことによる「支援」だった。

そしてバンドブームの終焉によってロック界を先導するロック雑誌は終息する。
ただ、今現在何らかのコラボレーションをすることなく雑誌単体で何らかのムーブメントを引き起こす事は有り得ない。
だから、ことさらロック雑誌に限ってパワーが無くなったと嘆く事もないのだが。

もちろん、ロックが時代を引っ張るという事が無くなったということも関係している。
70年代から20年くらい続いた「最先端のサブジャンル音楽を取り入れる事で最先端ではないが先端であり続ける」という手法も、流通の発達によってその音楽のオリジナルが手に入る今となっては通用しなくなってしまった。

ただ日本で「ロックで儲ける」ことが出来るようになったのはバンドブームが終わったあとだったと思う。
ブームの終焉を乗り越えた連中が、シングル、アルバム共にオリコンチャートの上位を独占する時代は90年代末になってから。
それまでもハウンド・ドッグや矢沢永吉、B'zが武道館を満杯にしていたが、ロックというジャンルとしての音楽がチャートを独占したのはあの時期が最初で最後だったと思う。
以降は日本でも海外と同じくポップミュージックのサブジャンルとして存続していく事になる。

そして第6章のロック・マガジン。
宝島を扱ったあと、筆者はメジャー化した日本のロックシーンを無視して「これ以降はムーブメントを引き起こした雑誌がないから」と、この関西のカルト誌の紹介に移る。

ロック史を紹介するのでなく「ロック雑誌を紹介する」ことがこの本の趣旨なのだからスタンスとしては間違っていないが、やはり筆者は「ロックで儲ける」という行為に対してなんらかの反発があるのだろう。

ロック・マガジンが目に見える形でムーブメントを引き起こしているのかいないのかは、実際にこの雑誌を手にした事のない自分としては分からないが、クラブミュージックはロック・マガジン元編集長・阿木譲が引っ張っている、という話は聞いた事がないので何とも微妙なところだ。
鈴木慶一は読者だったらしいが、ムーンライダースが後続に影響を与えたことってあったかなあ。
だから「資料的価値が勝る」という意味では、フォークリポートの章と似ている。
バックナンバーも全部載ってるし。
ただ阿木譲自身は終わっていない、という部分が相違点か。

バックナンバーが全て紹介されているが、これを見る限りロック・マガジンが「音楽情報誌としての最先端」だったのはパンク・ニューウェイブに限るようだ。
創刊号で「最先端だった」と紹介されているルー・リードは「ロックン・ロール・ハート」(Amazon.co.jp)というつまらないアルバムを発表して「NEW YORK」(Amazon.co.jp)までの雌伏期に入った辺りだったし、ジョン・ケイジを20年遅れで真似したインダストリアル系の悲しさは言うまでもない。
ただ地の利、と言えばいいのか時代が彼に味方した、と言えばいいのか、テクノポップ発祥の地・日本で初めて「テクノ・ポップ」という言葉を使った雑誌ということで世界で初めて「テクノポップ」という言葉を使ったという栄誉は彼のものとなる。

この雑誌は意識的にロックと現代思想を絡ませたらしく、その辺も筆者は評価しているが、その手の絡みには必ず「ウイリアム・S・バロウズ」の名前が出てきてしまう。実際、阿木譲も触発された時期があったらしい。
ただし、同じく現代思想を絡めたフールズメイトがデタラメな翻訳でバロウズを引用し、それに対して無茶な解釈を加えていた事実を山形浩生が指摘している。
阿木が触発された「バロウズ」はちゃんと翻訳されたものだろうか。

このころのバロウズは「訳分かんないから偉い、だから分かんない文章は偉い」の根拠として扱われていた節もあるので、変な言葉を使いたがる彼が「ちゃんとしたバロウズ」を読んでいたとは考えにくい。

ついでに言うと彼が「1980年代末は最先端だった」と語るアシッド・ハウスは、音楽業界に人脈のない単なる若造だった自分も普通に知っていたので、最先端って程でもなかった。

ただ筆者はその辺の事はもう分からないらしく、何も突っ込むことなくインタビューは終了してしまう。
真面目な人なんだろう。「カリスマ」の扱いは上手くないようだ。

そしてあとがきへ。
個人的にあとがきに期待したのは、著者が今現在どんな音楽を聴いているのか、という点。
しかし、そのような個人的事柄に触れることなく、近況報告だけで筆を置いてしまう。

寂しさを感じさせる書き方を見る限りでは、筆者は「漁るように音楽を聴く」という行為を止めてしまったのだと思う。
だから、この本は「かつての筆者自身」への墓碑銘であると共に、ある一定の年齢層、言い方を変えれば「音楽の好みが固まってしまった」人が郷愁を共有するために読むのにふさわしいもの、といえる。
世代で言うとビートルズ世代から「渋谷のタワーレコードで輸入盤を買うのが楽しみだった」世代までか。

従って「まだまだ、何でも聴いてやる」と音楽人生いつも前向きな人には用のないものだ。
もちろん「資料」としての価値は大いに認めるところだが。

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